1882年4月18日 ロンドンに生まれる
1894年 子供のオーケストラで初めて指揮をする。この日、指揮者になる決意をする。
1895年 王立音楽学校に入学
1898年 王立オルガニスト学校、オックスフォード大学に入学
1903年 イギリス、ピカデリーの聖ジェームス教会のオルガニストに就任
1905年9月 渡米し、ニューヨークの聖バーソロミュー教会のオルガニスト・合唱長に就任
1909年5月12日 指揮者として正式デビュー(まだタクトを使っている)
パリにて。コロンヌ管弦楽団、オルガ・サマロフ(Pf)
チャイコススキー 交響曲第6番「悲愴」から第3楽章
チャイコフスキー ピアノ協奏曲第一番
イッポリトフ=イワノーフ コーカサスの風景
1909年11月 シンシナティ交響楽団の常任指揮者に就任
1909年11月26日 シンシナティ交響楽団でのデビューコンサート
モーツァルト「魔笛」序曲
ベートーヴェン 交響曲第5番
ウェーバー「魔弾の射手」序曲
ワーグナー「ジークフリート牧歌」
ワーグナー「ワルキューレの騎行」
1911年 オルガ・サマロフと結婚(1回目の結婚)
1912年春 理事会が無能だとして、突然シンシナティ交響楽団の常任指揮者を辞任。シンシナティの音楽界を騒然とさせる。
後日「実は既にフィラデルフィアとの契約があったのでは」との憶測が流れるがストコフスキーは否定。
1912年秋 フィラデルフィア管弦楽団の常任指揮者に就任
1912年10月11日 フィラデルフィア管弦楽団でのデビューコンサート
ベートーヴェン「レオノーレ」序曲第3番
ブラームス 交響曲第1番
イッポリトフ=イワノーフ コーカサスの風景
ワーグナー「タンホイザー」序曲
1917年5月2日 マーラー 交響曲第8番「千人の交響曲」アメリカ初演
1917年10月22日 キャムデンのヴィクタースタジオで初めて録音を行う(曲:ブラームス ハンガリアンダンス第5番)
1921年3月3日 ストラヴィンスキー「春の祭典」アメリカ初演
1922年2月10日 初めてストコフスキーのバッハの編曲ものがコンサートで演奏され評判となる(曲:パッサカリアとフーガ)
1923年 オルガ・サマロフと離婚(1回目の離婚)
1920年代後半 タクトで指揮をすることを止める
1925年4月29日 初のオーケストラによる電気録音を行う(曲:サンサーンス「死の舞踏」)
1926年 エヴァンゲリン・ジョンソン(米ジョンソン&ジョンソン社の創設者の娘)と結婚(2回目の結婚)
1931年11月19日 ベルグ「ヴォツェック」アメリカ初演
1932年4月8日 シェーンベルグ「グレの唄」アメリカ初演
1936年 映画「1937年の大放送」でアメリカ初のオーケストラによる映画出演
1936〜38年 女優グレタ・ガルボとのロマンス。
1937年 ユニバーサル映画「オーケストラの少女(原題:A
hundred Men and a Girl)」に出演
1937年秋 エヴァンゲリン・ジョンソンと離婚(2回目の離婚)
1937〜40年 ディズニー映画「ファンタジア」制作
1940年 フィラデルフィア管弦楽団の常任指揮者を辞任
1940年 18〜25才を対象に楽団員を全米から募集し「全米青年管弦楽団」を組織(6月)。南米演奏旅行(7月)
1941年 全米交響楽団を組織。全米演奏旅行(4〜7月)
1941年11月 トスカニーニと共にNBC交響楽団の常任指揮者に就任(〜1944年2月)
1944年 ニューヨークシティ交響楽団を創立し、最初の常任指揮者になる(〜1945年)
1945年4月 女優グロリア・ヴァンダービルドと結婚(3回目の結婚)
1945年7月 ハリウッドボール交響楽団の常任指揮者に就任(〜1946年9月)
1946年12月 ニューヨーク・フィルハーモニックの共同指揮者に就任(〜1950年4月ミトロプーロス、ミュンシュ、ワルターと共に)
1947年 映画「カーネギーホール」出演(曲:チャイコフスキー 交響曲第5番 第2楽章、演奏:ニューヨーク・フィル)
1951年5〜6月 サー・トーマス・ビーチャムの招きでロイヤルフィルハーモニックを率いて全英演奏旅行。本格的なイギリスでの活動を開始
1954年12月 グロリア・ヴァンダービルドと離婚(3回目の離婚)
1955年10月 ヒューストン交響楽団の常任指揮者に就任(〜1960年11月)
1961年3〜4、11月メトロポリタン歌劇場でプッチーニ「トゥーランドット」上演
1962年10月 アメリカ交響楽団を設立。初代常任指揮者に就任
1964年 英DECCAと10年間のヨーロッパでの録音契約を締結
1965年7月 最初で最後の日本への演奏旅行。読売日本交響楽団と日本フィルハーモニー交響楽団を指揮
7月8日 東京文化会館(開演19:00) 日本フィルハーモニー交響楽団
バッハ/ストコフスキー パッサカリアとフーガ
アイブス 答えのない質問
柴田南雄 シンフォニア
チャイコフスキー 交響曲第4番
7月10日 読売日本交響楽団 ベートーヴェン 交響曲第7番(1曲のみ指揮し、他の曲は飯守泰次郎が指揮)
7月13日 日本武道館(開演18:30) 日本フィルハーモニー交響楽団
バッハ/ストコフスキー トッカータとフーガ
ベートーヴェン 交響曲第5番
カウエル 琴と管弦楽のための協奏曲(琴:近衛公雄)
ストラヴィンスキー ペトルーシュカ組曲
スーザ 星条旗よ永遠なれ(アンコール)
1972年5月9日 アメリカ交響楽団の常任指揮者として最後のアメリカでのコンサート。常任指揮者を辞任、後任は秋山和慶
1974年5月14日 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮して最後のイギリスでのコンサート
1975年7月22日 ルーエン弦楽オーケストラを指揮して最後の演奏会を開く
1976年 CBSと5年間の録音契約を締結
1977年4月6日 最後の録音を行う(ナショナル・フィルハーモニック管弦楽団 曲:ビゼー Symphony
in C)
1977年9月13日午前イギリス ハンプシャー州ザーワロックの自宅で心臓発作のため死去